愛の世界

皆さまは、この世が何で出来ているか知っていますか?
この世は、『愛』で出来ていると言ったらどう思うでしょうか?
私も数年前まで、この世が何で出来ているかを考える事も知ることもありませんでした。
この世は摩訶不思議。言い伝えられてる事の全ては、ほぼほぼ真逆の世界で生きていると言う真実。

私は、魂のパートナーに出会うまで、真実の『愛』と言うものを知りませんでした。
多分、この世で生きている人たちの多くは、『愛』は、誰かから与えられるものだと思っているでしょう。私もその1人でした。だから、多くの人は「愛が欲しい」と外側に求め、誰かから与えられることを望んでいるのでしょう。愛されようと、着飾ったざり、良い面を見せる努力をしたり、なんとかして、誰かから与えられる『愛』と言う見えない存在を手に入れようとします。私は自己肯定感が低かったので、誰かの言いなりになりその人を満たして尽くしてあげることで、『愛』を得ようとしていました。
しかし、「尽くす」と言うのは、「求める」ことに繋がる真実の愛とは違う、『条件付きの愛』いわゆるエゴ由来の愛なのです。
人というのは、身勝手なもので、自分が勝手に尽くして与えているにも関わらず、相手から思った以上の愛を受け取れないと「私は、こんなにしてあげているのに、どうしてあなたは〇〇してくれないの?」と不満を相手にぶちまけます。しかし、愛というもののカタチは、人それぞれ違うので、自分なりに愛を表現しても、相手が求めている愛のカタチが違えば受け取る事ができません。
往々にして、世の中の人間関係は、この愛のカタチの違いによるトラブルがあとをたちません。「〇〇してあげてるのに」と、いかに自分自身がしているかを伝えられても、愛のカタチが違えば、相手にとってはありがた迷惑だったり、お節介に捉えられたり、逆に愛が足りないとか言われてしまうのです。

人は皆同じ世界を生きているようで、本当は全く違う世界を生きています。
同じ景色を見ても、素敵だと感動する人もいれば、大したことないとガッカリする人もいるのです。
「一水四見」
同じ環境に居ても、受け取り方や物の見方は人それぞれ違います。それは、生まれ育った環境や固定概念、置かれた環境や立場によって様々なフィルターを通して私と言う世界を見ているからです。

『愛』とは、自分の内側から溢れるエネルギーであり光。誰かに与えられなくても、はじめから自分の内側に存在しているのです。絶え間なく溢れる光は、絶えず自分を通して相手に放たれる。それが『愛』。自然は、ただただ自分らしくあることで、愛を与えている。太陽は、常に自分らしく輝き、降り注ぐ愛の光によって、地球に生きとし生けるものが共に自分らしく輝いて生きることを伝えている。どんなに曇っていても、雨や嵐だとしてもただただ愛の光を送っている。

この世は、『愛』で出来ている。
そう、この世の中は愛を具現化した世界。
例えば、昔は洗濯をするにも川や井戸から水を汲んで、洗っていました。それを、何とか楽にしてあげたいと思った愛を具現化したのが洗濯機。人力車だったのが、もっと便利で早くと思った方の愛は自動車になったり…。そう言う全てのものは、誰かが誰かの為に発した愛がカタチになり具現化したものです。そう思うとこの便利な世の中や自然は、愛に満ち足りた世界なのだと、感謝の念が湧いてきませんか?

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