ボイトレ教室からの気づき

5月24日(火)
月一のボイトレ教室の日。
体は楽器ということで、体のメンテナンスdayでもある♪
前半メンテナンス、後半は歌。
毎度のことながら、全身凝ってます…。
立ち仕事だから足が特にね。
普段も揉んだりしているけど、追っ付かないくらい滞ってる。
休息が必要なことは分かってるんだけどね。
お子ちゃま?(いやイノシシ🐗)なので倒れるまで走ってしまうのが難…全てをoffにする勇気はない😅
今日、驚きの発見は、自分の声が自分が思っているほど低くなく、他人には女性らしい声だと認識されていたこと❣️∑(゚Д゚)

今やっている『群青』という歌。
昨年末くらいから流行ってたんだっけ?三女が前によく歌っていた曲。
課題として取り上げなければ、サラリと聞き流してしまうようなメロディ。
歌詞を見て気づいたけど、私へのメッセージっぽい。
一部抜粋

「知らず知らず隠してた 本当の声を響かせてよ」
「好きなものを好きだと言う 怖くて仕方ないけど 本当の自分 出会えた気がしたんだ」
「もう今はあの日の透明な僕じゃない ありのままの  かけがえの無い僕だ」

私、声が低いことも子どもの頃からのコンプレックスで、自分の声が嫌いだった。
だからねぇ、長年ずっと声も高く出すように自分を偽って生きて来て、自分の本当の声が分からなくなってた時期もあったんだよね。

子どもの頃から、沢山の欠点を指摘されて、短所は直さないとダメだと思って、修正して来たんだけど、結局は他人から見える数々の欠点は、自分の個性だったり、気質だったりで、本当は変える必要なんて無かったのだけれど、教育のシステムもそういう風潮があって、それが正しいと誰もが思ってたし、自分もそう思って生きていた。
まぁ、私は正しいと思って矯正された結果、自分が自分じゃ無くなって心身共におかしくなって、完全に真逆のエゴの世界を極限まで生きる羽目になったんだけど。(そりゃ自分以外の誰かになるなんてできないからね。)

短所は裏を返せば長所なんだよね。
同じ意味を現す言葉も、どう選択するかで良い意味にも悪い意味にもなる。
もっと言葉のチョイスが正しかったら、子どもはありのままの自分を受け入れて、のびのびと自分の個性を発揮して早い段階で才能開花していくのかもしれない。

私はヴィーガン になることで、自分自身を取り戻したんだけど、当時、『もう可愛い良い子のmaiは居ません』って言われたのはある意味衝撃⚡️
そうだよね〜、「自分の意思なく従順でなんでもYesマン、(顔色伺って怒られないように先回りして)色々やってくれる都合の良い」って言う意味の良い子だから…😅
はい、エゴで生きるmaiは死滅しました。

不平不満を言う人のタイプっておおよそ2パターン。
依存してる人となんでも他人を動かそうとする支配的な人。
まぁ、どちらにしても根源はめんどくさがりで自分でしたくない人だったりする。
そもそも他人に不平不満を言う前に、自分はどれだけ他者に貢献してるかをかえりみる必要はあると思う。だけど、不平不満を言う人は基本的に自分はこれだけやってるから、相手にもそれを求めるタイプで、基本的にやりたくないのに嫌々やってるから不満を溜めている。
どんな現実を手にしても、全て自分自身の意思と選択と行動で成り立ってるということを理解して欲しいところ。

この世は自己完結。本当は他人は関係ない。
写し鏡という他人を通して、自分自身の愛じゃない意識や囚われ、要らない感情を手放すために見せられている自分の姿。
他人は変えられないから常に自分自身が心地良くいられるように変化し続けていけばいいこと。

魂は輝く丸い球体。
生まれた時は、愛の光を放っているけれど、大人になると殆どの人が歪で輝きを失っていく。
自分自身が愛の光だったことも忘れて、エゴまみれ。
天に還る時は、生まれた時以上に美しく丸く輝いた愛の光を放っていたいものだ✨

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