宇宙元旦の日に受け取ったメッセージ。
この言葉を受け取った当初は、「えっ⁉️」って思いました。
他の人はどう思うのでしょうか?
そんなの当たり前でしょ?って思うのかもしれません。
でも、私は中々素直に受け取れませんでした。
お人好しの私…、いつも誰かのために、誰かが笑ってくれればそれでいいと思っていました。
幼少期は確かに自分の意思を持ち、喜怒哀楽も激しく純粋で子どもらしい子どもでした。
私と母は真逆の性格で、好みも体感も違っていました。
だから、何かを選ぶにしても違うんです…。
母が好きなものは自分の好みじゃない。私の好きなものは母は好きじゃない。だから、母としては私が選ぶものは気に入らなかったんですよね。それを人それぞれだと個性を認めてくれる器ならよかったのだけれど、そうじゃ無かったので、いつの間にか私は、自分の好きなものを選ぶことはワガママで、喜んじゃいけない。好きだと思うことすら罪悪感。
自分のことを優先するのは悪で、相手の気持ちを優先しないといけないと、母の顔色を伺い母が喜ぶ方を知らず知らずのうちに選択して生きていました。
だからいつも選ぶのは2番目。セカンドベスト。
完全に他人軸です。他人軸だから、良かれと思って選択したことが相手の意向とズレていたら、ダメな自分が強調され、自己肯定感も低く自分への信頼もない状態に。おまけに、自分の気持ちを素直に言えない優柔不断な性格。どうせ自分の思い通りにならないなら、波風立てないように従っていた方がいいと思い、小学生高学年にして人生諦めてました。
私は、子どもの頃から母の相談相手で、子どもなりにずっと勇気づけてきました。
家族との関わり、苦悩…。言葉に出さなくても伝わる波動。
私はとても繊細で感受性豊かな人間なので、色んなこと受けとってしまう。
同情=自分の心を支配される。
いつの間にか、相手の喜びは自分の喜びだと思って生きていた。
私の半世紀は、母への償いのために生きた。条件付きの愛、エゴの世界への学び。セカンドベスト。
真逆の世界で生きることによって、落ちた闇の世界。自分不在。好きなものが何かも分からない、自分が何のために生きてるのかも分からないという人生の迷子。
私は、他人を通して見る合わせ鏡に映る自分の姿がいないことに気づき、ひどくガッカリした。
誰かのために一生懸命生きてきたのにそこに自分がいなかったのだから。
「自分のために生きよう」と決意した時から、人生の歯車が動き出し、この世界の真実に出会う。
自分が愛だと思ってしてきたことが愛じゃないと知って、自分の未熟さとダメさ加減に反省と共にアイデンティティ崩壊。そして、今まで自分で選択していると思って生きてきた道のりがいつの間にか母の理想のレールの上に乗って生きてることに気づいて絶望。
過去の出来事が走馬灯のように駆け巡る。
地球が無くなってもし明日死ぬとしたら??
私の過去の記憶には後悔しか無かった…。何も成し遂げてないし、やりたいこといっぱいあった。
死にたいと思って生きてきた人生の中で、初めて『生きたい』と思った。
ずっと外側に出たら探し求めていたものは、実ははじめから自分の内側にあったことに気づく。
愛の光。
それは、私自身だった。
エゴという色眼鏡をかけて見ない世界は、ただただ愛に満ち溢れた世界だった。
愛の光だった私を思い出した私は、愛じゃない生き方を手放した。
そして辿りついたのは、ヴィーガンという生き方。
自分を傷つけない、人も動物も傷つけない。
手放すことで豊かになった。
全てを握り締めていたら、何も受け取れなかった感覚。
与えることは、受け取ること。
全てが伝えられてたことと真逆の世界。
一寸の光と共に、気づく真実。
私は私以外の何者にもなれない。
ずっと自分を否定し、できないことも嫌なことも一生懸命頑張って、何とか出来る様に頑張ってきた。それでも、周りからは、我慢が足りないとか頑張ってないとか、もっと頑張れを強要される。辛い、苦しい、悲しい。
そう、私は、できない私を受け入れられなかったのだ。
できない自分もダメな自分も丸ごと愛して、もっと大切にすること。
私に足りなかったのは、他人への気遣いじゃなくて私への気遣い。すなわち、自己愛。
私が今世で、体験する愛の1つは、自己愛。
生きてきた中で、他人を大切にしなさい、人の気持ちを考えろ、人に迷惑をかけるな、思いやりをもって…と他者に対する気遣いは教えられるのに、誰ひとりとして、自分の気持ちや心を大切にしろという人は居なかった。むしろ、自分気持ちを素直に伝えただけで、わがままだと言われる始末。
そんな中、1人だけ私の心を大切にしてくれた人が居た。
好きなことをしてもいいし、辛い時は人を頼って良いということを教えてくれた。
私の人生に歓喜が少ない事を指摘し、もっと楽しんで良いんだよ。
『楽しく生きよう♪』と。
私はたくさん泣いた。
もう一度生きようと思った。
過去は、受け止め方次第で、変えられる事を教えてくれた。
私は、その人のおかげで、過去のモノトーンな思い出は、上書き保存という形で、彩りのある思い出になった。
結婚相手には、モラハラ、DVを受け、母に産まなければ良かったと言われたり、大喧嘩の末に淹れたてのコーヒーかけられて火傷したり、、、散々な目に遭ったけど、それは私が生きていたくないと思っていたから。
他人は私の心を映す鏡。私の人生の悪役は、私の生き方を修正するために悪役になってくれている。
人生の目的は、それぞれが幸せになること。
私は、良い意味でも悪い意味でも引き寄せの力が強い。
だから、心穏やかに『生きていても良い』と思える環境の中で、私は、私のために笑って生きていきたい。
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