ダイコン料理

いただきものに葉付きのダイコンがあったので、『続野菜だけ?』の本より

コロコロ高野豆腐の醤油ソテー(p109)

干しシメジとダイコンのコロコロソテー(p133)

2品作りました。

いつもダイコンの葉っぱは、刻んで、ごま油で炒めて醤油だけ、または味醂入れて作ってたけど、つぶつぶのは、炒める時に塩入れるんですよね♪高野豆腐を入れることもあったけど、これは椎茸入り。今日は1つしかなかったから、シメジもちょこっと入れてますが。

ダイコンは、干し椎茸の炒り煮を作っちゃうことが多いけど、今日は目先を変えて、コロコロソテーに。味噌やゴマペーストが入ったコックリ味。

今日はどっちもコロコロソテー🤣

先日、私が座ってたら、白髪が目立つと言われたので、髪を染めようと思ってヘナの分量はかったら、いつもの半量以下しか残ってなかった😅💦インディゴも残ってたから、あわせてみたけど、少ない。仕方ないけど、今日は、白髪が目立つ分け目の部分だけ部分染めにしよう。
インディゴ入れたから、前回より暗めかもだけど、元々は真っ黒な黒髪だし。
見た目年齢より若く見られることが多いんだけど、髪はねぇ…結構、白髪多いんだよね〜💧
まぁ、10代からあるから、仕方ない(と思っている)。
母の前で白髪多いと言うと、自分は、30代で、もっと白髪多かったと何故か私にマウント取ってくるので、「いちいちマウント取って、不幸自慢しないで」と釘刺しておいた。
母は、「不幸自慢」と言う表現に笑ってたけど。
何かにつけて、自分の過去と比較して、あなたの方がマシみたいに言ってくるのが、ウザい。
正直、この部分いつも違和感。(私の中にある手放すべき不必要な感情?)

どんなに頑張って来たか、知らんけど、頑張って来た自分を認めるのは自分なんだし、いちいち頑張って来ましたアピールが嫌。子どもの頃から、母親の相談相手だったけど、私は母に相談することはほぼない。何故なら、共感することなく、自分の過去と比較して自分の方が頑張っきたアピールか他人との比較か努力が足りないとか言われてイラっとするだけで何の補助にもならないから。むしろ傷が増えるだけ。自分で調べたりして、解決した方が早いし、別の視点で良いアドバイスくれる人に話した方がよっぽど良い。

今イラっとする母の言動は、孫に直接言えばいいことを私を間に入れて言わせようとすること、又は、「〇〇させたら?」とか、自分がやらせたい事を私に押しつけて来るのも嫌〜。最近は、三女が髪を切らないことにイライラしてるらしく、それを私に「髪切ってやったら?」と。本人、切りたがってない。ちょっと前までは、長女の髪のこと言ってたんだけど。気になってても髪は本人のものだから勝手には切れないじゃん。子どもと言えども意思はあるし、勝手に切るのはある意味、虐待だからね。
私は、誰かの板挟みになることは、超絶嫌い。だって、それは自分の考えじゃないのに、何で私が言わなくちゃならんの?って思うし、私が言ったところで、本人の意思がその方向に向かってなければ、無意味だから。これが現在の一番のストレス💔
普段言いたいこと言いまくってる癖に、都合が悪くなると、「あなたが母親だから」を理由に文句を言ってくる。そこを言うなら最初から入ってこず、私に丸投げなら、話は分かるが、中途半端に首突っ込んで来て、ゴタゴタさせた挙句、この言葉は、私の中で地雷⚡️
そっちで勝手にやってくれ❗️と思う。

心配症は、ただの病気。心配させるなとか言うけど、それはあなたの心持ちが悪いだけで、「その感情に左右されることを選んだのは、あなただよね?」って思う。自分の人生を生きてない人は他人の行動をかえさせようと必死になり、感情に振り回されて一喜一憂する。
私は、他人に構ってるほど暇じゃないんだよね。
やることたくさんあるし、人生でやり残したことまだあるから、他人に構う暇なし。
もちろん、子どものやりたい気持ちは応援するけど。私は母のようにいちいち、自分を押し付けたりしない。提案はするけど、相手がアクション起こさなければ、私は動かないので、過保護過干渉な母からしてみれば冷たいと思われるみたいだけど、むやみにあーだこーだとジタバタして、一貫性のないネガティブな言葉かけられる方が毒だと思う。私はこれにやられて来たのだから。まぁ、私の子どもたちは、私と違って、反論するし、言うもんなら、倍返しで返ってくるほど口達者なので、毒が溜まることは無さそうだけど。板挟みにされたこっちがストレスだわ😩💨
ちょっと離れた木の上から見守るのが親の役目。本人の希望もなく手出し口出し不用だと思うんだが…。
私は、子どもの頃から母の御魂磨きに付き合わされてるんだろうな〜。
まぁ、そもそも母はお武家の姫様の魂だからねぇ…潜在意識では、周りが自分の思い通りに動いてくれるのが当たり前だと思ってるんだよね。
だから、自分の意思にそぐわないものは気に入らない。
母は、「子ども命」で、子育てしてきたと言いつつ、私には、私のこと「産まなきゃ良かった」とかいうくせに、言ってる言動が滅茶苦茶。今年大親友を亡くして、〇〇がいない人生なんて考えられないとかいつつ、これからは、「孫の笑顔を見るのが生きがい」みたいなことを言ったりするけど、ちょっと前まで、子どもたちが言うこと聞かなくてうるさいから、私に出て行け言うてたやん?
なんでいつもいつも両極端なことを言うのか?
私は自分の中で結論が出てからしか言葉にしないけど、母は途中段階でも思いついた先から喋るタイプなので、周りが振り回される。
この人、顕在意識と潜在意識での意識が真逆なのかも??って最近は思ってるし、何言われても、スルーしてるけど、完全に無傷でいられるほど鋼の心じゃない。

母は、子どもたちの幸せを願ってると言いつつ、行動がねぇ…子どもの頃からの疑問。
事実、一応、愛されているのは理解している。ただ私の愛のカタチと違っていたから受け取れずに取りこぼしてるのも重々承知。子どもはさぁ、「愛」には敏感なんだよ。愛じゃないものは違和感でしかない。だから、愛を与えてるつもりで、そこにエゴという愛じゃないものが乗っかってると、愛って認識できないの。

以前、魂の学びの組み合わせの話を聞いたけど、今までの時代は波動が低いものと高いもので、違いを学んでいくことが多かったから、波動の低い親に波動の高い子どもとか、波動が低いものは、波動の高いものに憧れ、波動が高いものは、低いものを好きになるって言うパターンが多かったみたい。これからの時代は、同じ属性の魂グループでの学びに転換されていくそうで、今は転換期。二極化とか言われてるけど、本当は、多極化だと思う。それぞれ自分の成長できるグループに分けられていくんだろうなぁ…と。あと少しの辛抱。
きっと霧が晴れていくように生きる世界が変わって行くように感じている。

私の願いでもあるけど。

愚痴ってないで、仕事しようっと。

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